ファン・ラモン・ヒメネス/著 -- 未知谷 -- 2019.2 -- 961

所蔵は 1 件です。現在の予約件数は 0 件です。

所蔵館 所蔵場所 請求記号 資料コード 資料区分 帯出区分 状態
鳥取県立 書庫 961/ヒメネ/一般H 120744788 一般 利用可

資料詳細

タイトル プラテーロと私 抄
書名ヨミ プラテーロ ト ワタクシ ショウ
副書名 アンダルシア哀歌
著者名 ファン・ラモン・ヒメネス /著, 谷口 江里也 /訳  
著者ヨミ ヒメネス,フアン・ラモン , タニグチ,エリヤ  
出版者 未知谷  
出版年 2019.2
ページ数等 253p
大きさ 19cm
原書名 原タイトル:Platero y yo
ISBN 4-89642-571-5
ISBN13桁 978-4-89642-571-0
定価 2000円
問合わせ番号(書誌番号) 1120248444
NDC8版 961
NDC9版 961
内容紹介 スペイン、アンダルシア地方に生まれ、1956年にノーベル文学賞を受賞した詩人ファン・ラモン・ヒメネス。その代表作から、101話を厳選。プラテーロという名のロバと過ごした日々よ、もう1度…。
著者紹介 【ファン・ラモン・ヒメネス】1881~1958。スペイン、アンダルシア地方、ウエルバ県のモゲールで生まれプエルトリコ、サンファンにて没。1956年ノーベル文学賞受賞。『Platero y yo(プラテーロと私)』は彼の代表作。当初画家を志し、父の勧めでセビージャ大学で法律を学び始めるも1899年に中退。この頃から詩を書き始め新聞に投稿。1900年にマドリッドに行き二冊の詩集を出版。同年、最良の理解者であった父が急死。精神病を患いフランスのボルドーの病院に入院。1905年にモゲールに戻って療養。『プラテーロと私』はこの時の体験をもとに書かれた。1911年にマドリッドに戻り盛んに創作活動を行う。1913年カタルニア人の父とプエルトリコ人の母を持つセノビア・カンプルビ(Zenobia Camprubi)と出会い1916年に結婚。1936年スペイン市民戦争の戦火を避けてキューバ、アメリカ合衆国などに移り住んだ後1950年以降プエルトリコに定住。1956年ノーベル賞受賞の直後に妻を亡くす。2年後にヒメネスも多作な生涯を終え共にモゲールに葬られた。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 
著者紹介 【たにぐちえりや】詩人、ヴィジョンアーキテクト。石川県加賀市出身、横浜国立大学工学部建築学科卒。中学時代から詩と哲学と絵画と建築とロックミュージックに強い関心を抱く。1976年にスペインに移住。バルセロナとイビサ島に居住し多くの文化人たちと親交を深める。帰国後ヴィジョンアーキテクトとしてエポックメイキングな建築空間創造や、ヴィジョナリープロジェクト創造&ディレクションを行うとともに、言語空間創造として多数の著書を執筆。音羽信という名のシンガーソングライターでもある。主な著書に『画集ギュスターヴ・ドレ』(講談社)など。主な建築空間創造に《東京銀座資生堂ビル》などがある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 

内容一覧

タイトル 著者名 ページ
プラテーロ
夕暮れ時のいろんな遊び
日蝕
託児所
ヘンナヒト
実ったイチジク
教会の鐘の音
気弱な気持ち
向かいの家
オツムの弱い子〔ほか〕