松田 宏一郎/著 -- 慶應義塾大学出版会 -- 2016.6 -- 311.21

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所蔵館 所蔵場所 請求記号 資料コード 資料区分 帯出区分 状態
鳥取県立 書庫 311.2/マツタ/一般H 120084622 一般 利用可

資料詳細

タイトル 擬制の論理自由の不安
書名ヨミ ギセイ ノ ロンリ ジユウ ノ フアン
副書名 近代日本政治思想論
著者名 松田 宏一郎 /著  
著者ヨミ マツダ コウイチロウ  
出版者 慶應義塾大学出版会  
出版年 2016.6
ページ数等 322,26p
大きさ 22cm
内容細目 内容:「東洋的専制」の運命から逃れられるか?. 「義気」と「慣習」. 国家に「人格」は必要なのか?. 大正・昭和初期における「国家」と「団体」の理論構成. 戦後日本政治学におけるホッブズ. 擬制の再発見. 『文明論之概略』を読む. 福澤諭吉と明治国家. 「民心」と「公論」. 「天賦の通義」?. 中江兆民における「約」と「法」
一般件名 政治思想-日本-歴史-明治以後  
ISBN 4-7664-2353-4
ISBN13桁 978-4-7664-2353-2
定価 5800円
問合わせ番号(書誌番号) 1120034410
NDC8版 311.21
NDC9版 311.21
内容紹介 「擬制fiction」という思考の技術は、近代日本の政治思想の担い手たちに、自由、平等、あるいは自治を権利として主張し守る主体を理論的に構成する新たな途を開いた。するとそこには、彼らが生きたそれぞれの時代相に密接に関わるさまざまな思想と、それらのせめぎ合いとが生まれた。侵害されてはならない権利主体は個人か集団か国家か。政治的共同性を可能にする集団的な価値や感情をどのように捉え、あるいは構想するか。そして、そもそも人々は自由になるべきなのか。こうした問いへの、福澤諭吉、中江兆民から丸山眞男にいたる思想家たちの見解とそれら相互の対立を精査。自由な主体の共存という課題に、不安におびえつつ、しかし果敢に応えようとした彼らの、豊かな理論的成果だけではなく方法的な失敗や視野狭窄をも明らかにする。日本における、擬制の論理の達成と隘路とをともに描き出す、待望の論文集。
著者紹介 立教大学法学部教授。法学博士(東京都立大学)。日本政治思想史専攻。;1961年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。;著書に、『江戸の知識から明治の政治へ』(ぺりかん社 2008年)ほか。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 

内容一覧

タイトル 著者名 ページ
第1章 「東洋的専制」の運命から逃れられるか?
第2章 「義気」と「慣習」―トクヴィルのモメント
第3章 国家に「人格」は必要なのか?―穂積八束の「法理」と「主体」
第4章 大正・昭和初期における「国家」と「団体」の理論構成
第5章 戦後日本政治学におけるホッブズ
第6章 擬制の再発見―丸山眞男にとっての福澤諭吉
補論1 『文明論之概略』を読む
第7章 福澤諭吉と明治国家
補論2 「民心」と「公論」
第8章 「天賦の通義」?―明治初期「自由」論争
第9章 中江兆民における「約」と「法」