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乗松祥子
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考えあう技術
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苅谷剛彦/著 -- 筑摩書房 -- 2005.3 -- 370.4
SDI
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所蔵は
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所蔵館
所蔵場所
請求記号
資料コード
資料区分
帯出区分
状態
鳥取県立
書庫
370.4/カリヤ/一般H
115971205
一般
利用可
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資料詳細
タイトル
考えあう技術
書名ヨミ
カンガエアウ ギジュツ
副書名
教育と社会を哲学する
シリーズ名
ちくま新書
シリーズ巻次
522
著者名
苅谷剛彦
/著,
西研
/著
著者ヨミ
カリヤ,タケヒコ , ニシ,ケン
出版者
筑摩書房
出版年
2005.3
ページ数等
270p
大きさ
18cm
一般件名
教育
ISBN
4-480-06222-X
問合わせ番号(書誌番号)
1101223987
NDC8版
370.4
NDC9版
370.4
内容紹介
「ゆとり教育」は「学力低下」の事実によって追いやられ、「学びのすすめ」へと方針転換された。さて、では「学び」と「教え」との間に生じる関係性、つまり教師と生徒の間の知識伝達の共有は、どのように起こるのだろうか。本書では「わかる」の現象学的な試みを、教育社会学者と哲学者との間で徹底してつめていく。「いま、なぜ勉学をするのか?」という問いかけから、「私」よりも「公」を重んじようという風潮に疑問を投げかけつつ、個人の自由と社会的平等の両方が成り立ちうる地点をめざして、「ともに考え、わかりあう」みちすじを模索・考察する。
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内容一覧
タイトル
著者名
ページ
序章 教育と社会を哲学するために
第1章 今なぜ「学ぶことの意味」を問い直すのか(「学ぶことの意味」の変遷;個人のさまざまな自由と「学校へ行くこと」)
第2章 「自由な思考」と「知識の共有」は両立するだろうか(個人の自由と公共の利害について;知識とはどういうものか ほか)
第3章 考えあうこと、理解すること(「わかる」を掘りさげる;役割と責任)
第4章 「学ぶ意味」をどう再生するか
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